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鳥追観音(如法寺)

(とりおい かんのん にょほうじ)

会津西方浄土の霊場、1200年の歴史と隠れ三猿

如法寺は、福島県耶麻郡西会津町野沢字如法寺に位置し、真言宗室生寺派の寺院です。山号は金剛山、本尊は聖観世音菩薩であり、「鳥追観音」の名でも知られています。この寺は会津ころり三観音の一つとして、老若男女から厚い信仰を集めています。

歴史と由来

鳥追観音 如法寺は、大同2年(807年)、仏都会津の祖とされる徳一大師によって開創されました。会津の西方浄土として位置づけられたこの観音霊場は、1200年もの歴史を持ち、多くの巡礼者が訪れる場所となっています。

その後、たびたび火災で焼失しましたが、その都度復興されました。特に慶長16年(1611年)の大地震で倒壊後、会津藩家老の岡半兵衛重政によって再建されました。鳥追観音如法寺の観音堂と仁王門は、県の重要文化財に指定されています。

御本尊とご利益

鳥追観音如法寺の御本尊である鳥追聖観音は、僧行基の作と伝えられています。衆生を導き、この世の寿命を全うさせ、あの世では西方浄土の阿弥陀仏の世界へ安楽往生させるとの誓願を持ち、子授け・安産・子育て・厄除け・健康・長寿の広大無辺なご利益をもたらすとされています。

また、境内には多くの境内社があり、戌・亥歳生まれの一代守り神として信仰されています。特に「福縁結び抱きつき柱」に抱きつき祈願すると、観音様の導きで「良縁」を授かると伝えられています。

如法寺観音堂附仁王門

鳥追観音如法寺の正面にある仁王門は、慶長18年(1613年)の会津地震で倒壊した後に再建されました。この門は入母屋、鉄板葺き、三間一戸、単層門で、中世からの工法が随所に見られる貴重なものであり、県の重要文化財に指定されています。

左甚五郎作「隠れ三猿」

如法寺の見どころの一つに、江戸時代の名匠・左甚五郎作の「隠れ三猿」があります。これらの彫刻は、それぞれ「災難より隠れ猿」「災難より逃れ猿」「安楽に暮らし猿」といわれ、三匹目の猿は牡丹の蕾に似せて隠し彫りされています。この三猿を見つけると、固いつぼみが花開くように幸運が開き、「福まさる」と伝えられています。

木造金剛力士像と厄除け祈願

鳥追観音如法寺には、県重要文化財である木造金剛力士像があります。この仏像は「身代りなで仏」として知られ、自分の体を交互になでて厄除けを祈願します。この仏像は信仰の対象であるため、特別な許可を得て現在でもなでてお参りすることができます。

鳥追観音の自然と景観

鳥追観音如法寺は霊峰飯豊山の南麓に位置し、阿賀川が悠然と流れる山紫水明の里にあります。如法寺の境内には、樹齢1200年の高野槙が聳え立ち、春は桜と若葉、夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の美しい風景が広がります。この場所は、まさに仏都会津の西方浄土として、訪れる人々の心身を癒す命のふるさととされています。

文化財と指定文化財

鳥追観音如法寺には、多くの文化財が存在します。福島県指定文化財には、観音堂附仁王門、木造聖観音立像、木造不動明王立像、木造毘沙門天立像、木造金剛力士立像があります。また、福島県指定天然記念物として、東北最大の高野槙(コウヤマキ)があり、西会津町指定文化財には金口(鰐口)、観音堂高欄擬宝珠、大般若経唐櫃、御正体・銅造聖観音坐像、木造聖観音菩薩坐像、木造三十三観音応現身像が含まれます。

巡礼と信仰

鳥追観音如法寺は、会津三十三観音番外札所3として、また会津ころり三観音の一つとして、多くの巡礼者が訪れる場所です。平安初期の大同2年(807年)に徳一大師が「会津西方浄土」として開創し、以降も多くの信仰を集めています。東から入り、西から出るという珍しい構造の観音堂は、観音様の導きにより西方浄土への安楽往生を祈願するためのものです。

慶応4年8月、戊辰戦争で野沢に出陣した会津藩主・松平容保公も戦勝祈願に訪れたことでも知られています。

Information

名称
鳥追観音(如法寺)
(とりおい かんのん にょほうじ)

会津・喜多方

福島県