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新宮熊野神社

(しんぐう くまの じんじゃ)

珍しい建築の拝殿と黄金色に輝く大イチョウ

新宮熊野神社は福島県喜多方市慶徳町新宮に位置する、平安時代後期の天喜3年(1055年)に源頼義によって創建された歴史ある神社です。名称に「新宮」とありますが、本宮、新宮、那智の熊野三山を祀っています。旧社格は県社で、国の重要文化財に指定されている拝殿「熊野神社長床」で有名です。現在も長床のほか、熊野三社本殿、文殊堂、観音堂が残されています。また、境内にそびえる大イチョウは高さ30m、根本周り8.1m、樹齢は600年とされ、喜多方市の天然記念物に指定されています。

歴史

新宮熊野神社の創建は天喜3年(1055年)に遡ります。源頼義が紀州熊野三社を勧請したのが始まりで、後に寛治3年(1089年)には源義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したと伝えられています。熊野本宮社は岩沢村に、熊野那智社は宇津野村にそれぞれ遷座・造営されましたが、後にこれら2社は新宮社に統合され、現在では本宮、新宮、那智の3社が祀られています。

最盛期には300余の末社や寺院・霊堂が立ち並び、100人以上の神職がいたとされます。しかし、12世紀末に越後の城長茂の押領により一時衰退しました。その後、源頼朝によって200町歩の領田が与えられ、再び勢力を取り戻しました。奥州合戦後に会津を与えられた佐原義連の孫・時連が新宮城を築き、新宮氏を名乗り、約200年間会津盆地北西部を支配しました。新宮氏は神社を守護神として崇め、多くの神器を寄進し、神社の保護に努めました。しかし、新宮氏が蘆名氏に滅ぼされると後ろ盾を失い、神社は衰退しました。16世紀後半には戦乱の影響で社殿は荒廃しましたが、慶長年間に蒲生秀行が会津領主の時に50石を支給され、再び復興しました。しかし、慶長16年(1611年)の会津地震で本殿以外の建物は全て倒壊し、慶長19年(1614年)に蒲生忠郷によって拝殿(長床)が再建されました。

熊野神社長床

長床の構造と特徴
熊野神社長床は、平安時代の寝殿造りの流れをくむ建物で、直径1尺5寸(約45cm)の円柱44本が等間隔に5列並び、全て吹き抜けになっています。この拝殿は国の重要文化財に指定されており、慶長19年(1614年)に再建されたものです。平面は間口27m、奥行12mの長方形で、純然たる和様建築の特徴を持ちます。

文化財の保存
併設されている熊野神社宝物殿には銅鉢をはじめ、多くの国、県指定文化財が保存されています。これらの文化財は一般公開されており、歴史的価値を感じながら拝観することができます。

大イチョウと季節の風景

長床前にはご神木とされる大イチョウがそびえ立っています。この大イチョウは高さ30メートル、根本周り8.1メートルで、樹齢は約800年といわれています。喜多方市の天然記念物に指定されており、秋には辺り一面が黄金の絨毯に染まり、多くの観光客を魅了しています。11月中旬から下旬にかけての見頃の時期にはライトアップが行われ、大イチョウが幻想的な雰囲気を醸し出します。

文化財

新宮熊野神社には平安時代から江戸時代にかけての多くの文化財が伝わっており、これらの文化財は神社に隣接する宝物殿に保管されています。以下に、国の重要文化財および福島県指定重要文化財に指定されたものを紹介します。

重要文化財(国指定)

熊野神社長床
寄棟造、茅葺、正面9間、側面4間。建立年代は不明ですが、形式・技法から平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて拝殿として建立されたと考えられています。昭和38年(1963年)に国の重要文化財に指定され、昭和46年(1971年)から49年(1974年)にかけて解体修理復元工事が行われました。

銅鉢
銅鉢は神仏に米飯を供える食器の一種ですが、修験道では洗米や賽銭受けに使用されていたといいます。新宮熊野神社に現存する銅鉢は、高さ28cm、口径62.5cm、高台径38cmの朝顔型の鉢で、暦応4年(1341年)の奉納銘があります。昭和34年(1959年)に国の重要文化財に指定されました。

福島県指定重要文化財

熊野神社本殿
木造文殊菩薩騎獅像
熊野神社御神像
銅製鰐口
銅鐘
熊野山牛玉宝印版木・宝珠
大般若経・経櫃
これらの文化財は、神社の歴史的価値を伝える貴重な遺産であり、多くの人々に感動を与え続けています。

Information

名称
新宮熊野神社
(しんぐう くまの じんじゃ)

会津・喜多方

福島県