歴史
その歴史は室町時代にさかのぼり、永享4年(1432年)に、当時の領主であった蘆名盛久が霊泉の湧き出るこの地に別荘を建てたのが始まりとされています。
御薬園は、江戸時代に保科氏が会津藩主となった際、保養所として利用されるようになりました。園内では朝鮮人参をはじめとする薬草が栽培され、「御薬園」と呼ばれるようになりました。元禄9年(1696年)、会津藩3代藩主の松平正容が園匠の目黒浄定を招き、小堀遠州の流れをくんだ本格的な大名型山水庭園に改造しました。
庭園の構成
御薬園は約1.7ヘクタールの敷地を有し、中央には心字の池が配置されています。池の中央には亀島と楽寿亭があり、池辺には石が巧みに配置されています。庭園内には多くのモミ、スギ、マツの大樹老木が配置され、回遊園路が設けられています。
御茶屋御殿
御薬園内の「御茶屋御殿」は、元禄9年(1696年)に建てられた木造茅葺平屋建の数寄屋です。戊辰戦争時に新政府軍の傷病者の診療所とされたため、戦火を免れました。戊辰戦争の頃から残る刀傷が柱に残っており、歴史の息吹を感じることができます。現在は抹茶席が用意されており、四季折々の景色を楽しむことができます。
薬草園
御薬園には名前の由来となった薬草園があり、約400種にも及ぶ薬草や薬木が植えられています。春は牡丹、夏には蓮、秋には秋明菊が咲き、季節ごとに様々な花が楽しめます。
楽寿亭
心字の池の中島に建てられた楽寿亭は、数寄屋風茅葺の平屋です。主に藩主や藩重役等の納涼や観光の場として利用されていました。楽寿亭の名前は松平正容によって命名され、「仁知の二字を座右の銘」としていたことに由来します。
重陽閣
重陽閣は、1928年(昭和3年)に秩父宮妃勢津子殿下のご婚約を記念して建てられた建物です。1973年に御薬園に移築され、名前は秩父宮妃勢津子殿下によって命名されました。現在は休憩所として利用されています。
心字の池
心字の池は、三代会津藩主松平正容の時代に造られた大名庭園の一部です。池の水源は猪苗代湖と東山の湯川から引き入れられており、散策を楽しむための回遊式庭園となっています。
散策とお茶
御薬園は、池の周りをぐるっと散策できる回遊式庭園であり、自然の美が凝縮されています。非日常的な空間で心も体も癒される特別な時間を過ごすことができます。また、歴代藩公も愛した庭園を眺めながら抹茶を楽しむことができ、手作りのごま羊羹も人気です。
季節ごとの風景
御薬園では、春には梅や桜、夏にはボタンや藤、秋には見事な紅葉、冬には雪をまとった白銀の景色が楽しめます。季節ごとに異なる風景が一年を通して楽しめることも魅力の一つです。
- 春: 水仙、梅、桜が咲き誇ります。
- 夏: ボタン、藤、アジサイ、ハスが咲き、緑が深まります。
- 秋: 紅葉が美しく、木々が色鮮やかに染まります。
- 冬: 雪景色が厳かな雰囲気を醸し出します。