勧請の伝承
小平潟天満宮の造営に関する伝承には次のような話があります。天暦2年(948年)、近江国比良神社の神主である神良種が、摂津国須磨で見つけた菅原道真の神像を持って旅をし、猪苗代湖畔に辿り着きました。良種はその地で休息し、再び歩き出そうとしましたが、道真の神像が急に重くなり動かなくなりました。周囲の景色を見渡すと、その地は須磨とよく似ていたため、良種はこの地を神像の鎮座の地とすることに決め、耶麻郡大領上毛野陸奥臣に申し出て天満宮を勧請しました。この際、元の地名である小出方村を、摂津国平潟にちなんで小平潟と改めたと言われています。
その後の天満宮
天満宮はその後、天神信仰の盛行に伴い、会津をはじめ仙道(現在の福島県中通り)の諸郡の領主や領民から手厚い保護を受け、繁栄しました。また、猪苗代兼載が小平潟天満宮の申し子であったという伝説もあり、これにより小平潟天満宮の名声は一層高まりました。現在の社殿は、天和2年(1682年)に会津藩主松平正容が天満宮をこの地に移した際に造営されたものです。
文化財
小平潟天満宮には以下の文化財があります。
福島県指定文化財
- 紙本墨書猪苗代兼載書八代集秀逸
猪苗代町指定文化財
- 本殿
- 算額
天神浜
天満宮の前に広がる天神浜は、長瀬川が作り出した三角州の一角にあり、美しい松原が広がっています。天神浜は日本の白砂青松100選に選定されており、正面には猪苗代湖全域、北には磐梯山の全容を望むことができるため、屈指の景勝地とされています。冬季には、不凍湖である猪苗代湖でも珍しく湖面が凍結し、また天神浜から東の三日月湖にかけての約1kmの湖畔では、波しぶきが木々にかかりそのまま凍結する「しぶき氷」と呼ばれる現象が発生します。この現象を見に、全国各地からカメラマンや観光客が訪れます。天神浜にはキャンプ場も開設されています。