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喜多方ラーメン

(きたかた)

県外からもラーメン目当ての観光客が訪れる元祖ご当地ラーメン

喜多方ラーメンとは、福島県喜多方市発祥のご当地ラーメン(ご当地グルメ)で、今では日本人の国民食となったラーメン。全国各地には、その地域の風土や食文化をいかしたご当地ラーメンがありますが、福島県喜多方市の「喜多方ラーメン」は、その中でも高い知名度があります。

店舗数と人気

2006年(平成18年)1月の市町村合併前の旧喜多方市では、人口37,000人あまりに対し120軒ほどのラーメン店があり、対人口比の店舗数では日本一でありました。喜多方ラーメンは、札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられています。

特徴

喜多方ラーメンと呼ばれるものでも、その味わいは店舗によって異なり、スープの味付けからして、王道のしょうゆ味、さっぱり風味の塩味、こってり味噌味と多様です。

主流のスープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、あっさりした味わいが特徴です。豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それらをブレンドしたものを提供する店もあります。醤油味がベースですが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別です。

麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、幅は約4mmの太麺で、切刃番手は12番および14番が使われます。独特の縮れがあり、食感は柔らかいです。具材はチャーシューを大き目(または多量)にのせるのが特徴ですが、ねぎ、メンマ、なると、海苔など一般的な構成となっています。お店によって、煮卵やワンタン、キクラゲなどのトッピングも楽しめます。

一部の否定派からはインパクトや特徴が無いという声もあり、良くも悪くもオーソドックスなタイプのラーメンと言われています。

歴史

喜多方ラーメンの歴史は1927年(昭和2年)にさかのぼります。当時、「源来軒」創業者の潘欽星(ばん きんせい)が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点です。その味は市民生活に浸透していきました。潘は中国・浙江省出身で、大正末に日本で働こうと渡航してきて、喜多方で中華麺の製造・販売を始めました。

その後、潘の「楽天支那そば」作りのノウハウを継承する人々が増え始め、「満古登(まこと)食堂」「坂内(ばんない)食堂」など市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになりました。その後、多くのラーメン店が軒を連ね、独自の進化を遂げてきました。このような流れから、現在も市内の多くのラーメン店が「○○食堂」という屋号を使っています。

喜多方ラーメンを楽しむ

喜多方市内には、100軒以上のラーメン店があり、それぞれのお店で個性豊かな喜多方ラーメンを味わうことができます。行列覚悟で訪れる人気店も少なくありません。

観光との関わり

喜多方市の観光の原点は「蔵」から始まります。市内の写真館「金田写真荘」の金田実が四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透しました。そのような流れの中、1975年(昭和50年)NHKが『新日本紀行』で、蔵と人々をテーマにした「蔵ずまいの町 福島県・喜多方市」を放送したことで、喜多方を訪れる観光客が年間5万人から1983年(昭和58年)には20万人に急増しました。

一方で観光収益の増大のためには、観光客の滞在時間の増加が課題となっていました。1982年(昭和57年)頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、団体客のための昼食場所を探し始めましたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れるスペースなどがないことから、ラーメン店に目をつけ、団体客用の昼食場所として観光業者に紹介を行いました。

市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段の店を昼食場所に紹介することに一抹の不安もありました。しかし、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、意見を聞いたところ「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、民放のテレビ番組に取り上げられることとなりました。1983年には福島県観光連盟の仲介で、日本交通公社(現JTB)の雑誌『るるぶ』で観光宣伝を仕掛け、PR記事の1ページ分に喜多方ラーメンが紹介され、更に、NHKなどでも取り上げられたことから、喜多方ラーメンが全国的によく知られるようになりました。

おすすめのお店

坂内食堂:喜多方ラーメンの元祖と言われる老舗店。あっさりとした醤油ラーメンが人気です。

まこと食堂:太めの縮れ麺と濃厚なスープが特徴のラーメン店。時代の流れと共に後継者がいなくなり、2023年9月末日にて閉店しました。

Information

名称
喜多方ラーメン
(きたかた)

会津・喜多方

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