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喜多方 蔵の里

(きたかた くら さと)

蔵の街として知られる喜多方、江戸時代の面影を残す文化遺産

喜多方蔵の里は、福島県喜多方市にある蔵の資料館です。喜多方市内の名家から移築した蔵を集め、蔵づくりの文化を後世に伝えることを目的として設置されました。喜多方市の街並みを再現し、昔の日本の原風景を感じることができる場所です。

概要

喜多方蔵の里は、約4,500平方メートルの敷地内に、中庭を中心として店蔵、味噌蔵、穀物蔵、蔵座敷、郷頭曲り家などを配置しています。これらの建物は、県指定重要文化財の肝煎屋敷旧手代木家住宅や郷頭屋敷旧外島家住宅なども含まれており、蔵や民家のある懐かしい日本の原風景を形造っています。施設のガイドも無料で行っており、入場者には蔵はがき(5枚セット)がプレゼントされます。

喜多方市は、江戸時代には物資の集散地として、また若松城下と米沢を結ぶ街道の町として栄えました。市内には今も4,000棟以上の蔵が広く分布しており、これだけ多くの蔵が建てられた理由として、物資の貯えや醸造業、漆器業に最適であったこと、明治13年の大火で耐火性が見直されたこと、蔵を建てることが男の一生の夢だったこと、蔵造りの名工が数多くいたことが挙げられます。

蔵の一覧

旧井上家穀物蔵

茅葺きを瓦葺きに再生し、片開きの土戸の鍛冶金物は当時のものをそのまま使用しています。墨書きには「慶応四戊辰年 小沼村甚五郎作 辰三月建前作之」とあります。会津型紙の資料を展示しています。喜多方は、伊勢白子、京都、江戸と並ぶ染型紙の生産地でした。

旧唐橋家味噌醸造蔵

間口3間半×奥行8間の旧味噌醸造蔵です。内部は木造トラス組の架構をあらわし、2階吹き抜けの大きな空間を形づくっています。金田実氏による蔵写真が展示されています。

座敷蔵

座敷蔵には居間と書院座敷、前室があり、蔵を母屋内に取り込む手法を再現しています。座敷蔵は「男40歳にして蔵のひとつも建てられないようでは男でない」と言われるほど男の浪漫とされ、蔵を建てることが生涯の夢とされました。

勝手蔵

店蔵から座敷蔵、勝手蔵と続く配置は喜多方地方の典型的な商家の構成となっています。二瓶清コレクション(考古学的収集資料)が展示されています。

旧猪俣家穀物蔵

かつての宿場町、熊倉にあった蔵で、屋根や窓の配置などが均整が取れ、観音開きの扉の意匠も美しい典型的な穀物蔵です。明治の社会慈善家、瓜生岩子刀自の資料が展示されています。

郷頭屋敷 旧外島家住宅

江戸初期から幕末まで慶徳町豊岡地区で郷頭を務めた外島家の住宅で、主棟および曲がり棟の創建は明和8年(1771)との記録が残っています。昭和63年5月に解体の報が市教委に入り、平成元年に建物が解体され、平成2年に現在地に復元されました。

旧冠木家店蔵

もとは呉服商の店蔵で、三方に下屋が取り付いた特徴的な外観を持っています。明治初期の建築と推定されていますが、江戸期の店蔵の形式をとどめています。板戸が上から引き出されるようになっていたり、土間の幅が狭く、昔の配慮が感じられます。

本施設への入場受付の機能を持ち、喜多方のお土産販売も行っています。

旧東海林家酒造蔵

大正12年に建てられたこの蔵では、かつての銘酒「白山」が醸造されていましたが、昭和7年から「夢心酒造」によって倉庫として使われてきました。

蓮沼門三先生資料展示(1階)

修養団の創設者である蓮沼門三先生は喜多方市山都町に生まれ、明治39年に修養団を創設しました。渋沢栄一らの援助を受け、日本の社会教育の形成・発展に尽くしました。

連絡先: 財団法人修養団福島県連合会喜多方事務局 電話: 0241-22-0033(甲斐商店内)

自由民権運動喜多方事件資料展示(1階)

明治15年11月、弾正ヶ原及び喜多方警察署を舞台として喜多方事件が発生しました。陽明学系の中江藤樹の学問が伝わっていた地域で、先人達の行動が我が国の民主主義の源流を辿るものとして展示されています。

喜多方地方郷土資料展示(2階)

熱塩加納町、塩川町、山都町、高郷町、西会津町の資料や、押切川廃川敷の活用計画資料が展示されています。

肝煎屋敷 旧手代木家住宅

江戸後期から明治初期まで下三宮村の肝煎を務めた手代木家の住宅で、異色ある間取りや鍵型に曲げられた造りなど江戸後期の形態をとどめています。幕末近くに増築された座敷棟も保存され、明治元年の農民一揆打ち壊しによる柱傷もそのまま残されています。

喜多方蔵の里は、訪れる人々に喜多方の文化や歴史に触れ、蔵の魅力を再発見させる場所です。蔵の歴史や文化に興味がある方には、ぜひ一度訪れてみることをお勧めします。

Information

名称
喜多方 蔵の里
(きたかた くら さと)

会津・喜多方

福島県