勝常寺の歴史
勝常寺は平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)に法相宗の学僧・徳一(760年 - 835年)によって開かれたと伝えられています。徳一は藤原仲麻呂の子とも言われ、最澄との論争で知られる人物です。彼は20歳代で関東に下り、会津地方を拠点に宗教活動を行いました。徳一の確実な開創とされる寺院には慧日寺(福島県磐梯町)と中禅寺(茨城県つくば市)があります。
勝常寺には本尊薬師三尊像を含む9世紀の仏像が多く残り、徳一が関係した造仏と考えられています。創建当時は七堂伽藍と多くの附属建造物が立ち並んでいたと伝えられ、会津五薬師の中心として会津中央薬師と称されました。鎌倉時代後期からは真言宗に属し、近世まで仁和寺の末寺でした。
建造物
勝常寺の薬師堂は室町時代初期に蘆名氏家臣・富田祐持によって再建され、国の重要文化財に指定されています。現在の薬師堂は寄棟造で、もと茅葺きであった屋根は昭和39年に銅板葺となりました。薬師堂には国宝の木造薬師如来坐像が安置されています。
勝常寺は創建当初、七堂伽藍とその附属建造物が立ち並ぶ大規模な寺院であったと推定されています。しかし、度重なる火災によって多くの建造物が失われ、現在残っている建物は近世以降に建てられたものです。
文化財
勝常寺には30余体の仏像があり、うち12体は平安時代初期のもので、おそらく創建時に造立されたものです。これらの仏像の造立には徳一が関わっている可能性が高いです。現在、木造薬師如来坐像は薬師堂に、他の諸仏は収蔵庫に安置されています。
国宝
木造薬師如来及び両脇侍像
中尊の薬師如来坐像、左脇侍の日光菩薩立像、右脇侍の月光菩薩立像の三尊は平安時代初期の9世紀の作です。材質はケヤキで、薬師如来像は一木割矧造という技法で制作されています。杉材を矧ぎ合わせた光背も当初のものです。薬師如来像が坐している円形の蓮華座は後世のものと考えられます。像高は薬師如来像が141.8cm、日光菩薩立像が169.4cm、月光菩薩立像が173.9cmです。平成8年(1996年)に東北地方の仏像では初めて国宝に指定されました。
重要文化財
薬師堂 木造四天王立像
持国天、増長天、広目天、多聞天の四体の総称で、須弥壇の四方を守護する護法善神像です。以前は薬師堂に安置されていましたが、現在は収蔵庫に安置されています(広目天像は東京国立博物館に寄託)。
木造十一面観音菩薩立像 木造聖観音菩薩立像 木造地蔵菩薩立像(延命地蔵) 木造地蔵菩薩立像(雨降り地蔵) 木造天部立像(伝・虚空蔵菩薩像)
以上の5体は平安時代初期の作であり、収蔵庫に安置されています。
勝常寺周辺の関連仏像
湯川村の隣に位置する会津坂下町の上宇内薬師堂の本尊・薬師如来像は10世紀前半の造立とされ、勝常寺の影響を受けています。会津美里町の個人蔵の吉祥天立像も勝常寺関連の像と推定されています。
- 文化財
- 国宝
- 木造薬師如来坐像及び両脇侍像
- 重要文化財
- 薬師堂
- 木造四天王立像
- 木造十一面観音菩薩立像
- 木造聖観音菩薩立像
- 木造地蔵菩薩立像(延命地蔵)
- 木造地蔵菩薩立像(雨降り地蔵)
- 木造天部立像(伝・虚空蔵菩薩像)
- 国宝
- 勝常寺周辺の関連仏像
- 上宇内薬師堂(会津坂下町)
- 吉祥天
まとめ
勝常寺は、平安時代初期から続く歴史ある寺院であり、国宝の木造薬師如来坐像をはじめとする貴重な文化財を数多く収蔵しています。また、周辺には徳一が建立したとされる寺院や、勝常寺の仏像と関連する作風の仏像が安置されている寺院もいくつか存在します。
これらの寺院や仏像を巡ることで、徳一が東北地方における仏教伝播に果たした役割や、当時の仏教文化についてより深く理解することができます。