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蚕養国神社

(こがいくに じんじゃ)

蚕養国神社は、福島県会津若松市蚕養町に鎮座する古社で、正式名称は「蠶養國神社」といいます。別称として「蠶養宮」とも呼ばれ、神紋は会津藩ゆかりの「会津三ツ葵」です。古くから養蚕守護の神として崇敬され、農業、工業、商業、さらには交通安全や諸業繁栄を願う多くの人々から信仰を集めてきました。境内には寛弘七年(1010年)に植えられたと伝わる御神木「峰張桜」があり、今もなお訪れる人々を魅了しています。

御祭神とご利益

蚕養国神社の御祭神は、以下の三柱の神々です。

これらの神々のご神徳により、養蚕守護はもちろんのこと、地域の繁栄や生活の安寧を願う信仰が広がりました。養蚕が盛んであった会津において、人々にとって心のよりどころであり続けています。

創建と歴史的背景

社伝によれば、創建は弘仁2年(811年)と伝えられています。『延喜式』神名帳には「蚕養国神社」と記載されており、陸奥国会津郡の式内社として格付けされました。会津郡内では、伊佐須美神社と並ぶ由緒ある存在です。

養蚕との関わり

神社名に「蚕養」とある通り、その成り立ちは養蚕業と深く関わっています。当時、会津は中央政府が養蚕を広めようとした地域の一つであり、延暦15年(796年)の記録には、伊勢や相模など各地から女性を陸奥に派遣し、養蚕技術を伝えたとあります。こうした歴史的背景から、この地に養蚕守護の神を祀る社が創建されたと考えられています。

社殿の変遷と復興

社伝によると、承和年間(834~848年)に藤原富士麻呂の奏上で官社に列し、寛弘7年(1011年)には石部少将道秀らによって社殿が整備されました。しかしその後、兵火により衰退しましたが、会津藩初代藩主・保科正之が社殿を復興し、社領20石を寄進しました。さらに寛保3年(1743年)には正一位に昇格し、文化4年(1807年)の火災で再び焼失しましたが、文政2年(1819年)に松平容敬により再建されるなど、幾度も再興を遂げてきました。

境内と御神木「峰張桜」

境内の本殿は皇子造(王子造・熊野造)で、幣殿や拝殿、神楽殿などが整っています。特に有名なのは、拝殿前に立つ峰張桜で、樹高14メートル、樹齢1000年以上といわれています。寛弘7年(1011年)の社殿創設時に植えられたと伝えられ、現在は会津若松市の天然記念物に指定されています。春には見事な花を咲かせ、多くの参拝者や観光客が訪れる人気の撮影スポットとなっています。

摂末社と祭事

境内には五社稲荷神社、鬼渡神社、護忠霊社、宗像神社・瀧直神社、和霊々社といった摂末社が祀られています。これらの社は地域の守護や先人の霊を慰める役割を担い、参拝者にとって多様な祈願の場となっています。

年間の主な祭事

神社では年間を通じてさまざまな祭事が行われます。特に4月19日の桜花祭・春季大祭は、境内の桜とともに多くの参拝者で賑わいます。夏の「茅の輪くぐり」や、8月の例大祭・神輿渡御、11月の新穀感謝祭など、地域の人々の生活と密接に結びついた行事が受け継がれています。

交通アクセス

蚕養国神社へのアクセスは便利で、JR会津若松駅から徒歩約11分の場所にあります。市街地からも近く、観光と合わせて気軽に参拝できる立地です。

まとめ

蚕養国神社は、養蚕守護の神として会津の歴史と文化に深く根差した神社です。御神木の峰張桜をはじめ、由緒ある社殿や数々の祭事が今もなお地域の人々に息づいています。観光で訪れる際には、神社の歴史に触れつつ、四季折々の風景を楽しみながら心静かに参拝するひとときをお過ごしください。

Information

名称
蚕養国神社
(こがいくに じんじゃ)

会津・喜多方

福島県