野口英世の生家 ― 偉人の原点を今に伝える
記念館の敷地内には、野口英世の生家が当時のまま保存されています。1823年に建てられたこの家は、英世が16歳で会津若松の医院に入門するまでの約20年間を過ごした場所です。建物は2019年に国の登録有形文化財に指定され、今でも囲炉裏や床柱などに当時の生活の痕跡を見ることができます。
囲炉裏とやけどの記憶
英世がわずか1歳半の頃、囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負いました。このやけどによって左手の指がくっついてしまい、その後の人生に大きな影響を与えます。囲炉裏は今も当時のままの姿で残され、訪れる人々に英世の幼少期の苦難を静かに物語っています。
「志を得ざれば再び此地を踏まず」 ― 床柱の決意文
19歳で上京する際、英世は生家の床柱に「志を得ざれば 再び此地を踏まず」と刻みました。この言葉には、貧しさや差別に屈せず、学問で身を立てる強い決意が込められています。訪れた人々は、この一文に英世の生涯を貫いた信念を感じ取ることができるでしょう。
母の愛と支え
英世の母・シカは貧しい暮らしの中でも、息子の学問を支え続けました。家には、彼女が洗い物をしていた小川も残されており、ここで英世がやけどを負ったと伝えられています。シカが英世に宛てた手紙も展示されており、「はやくきてくだされ」という言葉には、母の深い愛情と息子への想いがあふれています。
展示室でたどる野口英世の生涯
館内には、野口英世の歩みを時代ごとに紹介する展示があります。猪苗代・会津若松での少年時代から、東京での修業期、そしてアメリカ・中南米・アフリカでの研究活動まで、51年の生涯を豊富な資料と映像でたどることができます。
世界を舞台にした研究と功績
野口英世は1897年に医師資格を取得後、細菌学の道を志して伝染病研究所に入りました。その後渡米し、梅毒スピロヘータの研究で世界的に注目されます。さらに、黄熱病撲滅のため中南米やアフリカを訪れ、命をかけて研究を続けました。1928年、現地で自ら黄熱病に感染し、51歳でその生涯を閉じました。
博士の研究室と体験コーナー
展示室の一角には、野口博士ロボットが設置され、身振り手振りで研究内容を紹介してくれます。また、「体験!バクテリウム」では、顕微鏡を通して細菌の世界を観察しながら、感染症の仕組みを楽しく学ぶことができます。さらに、世界の感染症研究の歴史をまとめた「野口英世記念感染症ミュージアム」も併設されています。
特別展と記念碑 ― 英世の功績を今に伝える
館内では定期的に特別展も開催されています。たとえば「千円札の顔 野口英世の宝物」展では、野口が描いた絵や千円札の原版など貴重な資料を見ることができます。また、敷地内には英世の死後に建てられた記念碑があり、その下には彼の遺髪が納められています。
訪れる人へ ― 努力と情熱の記念館
野口英世記念館は、単なる歴史展示ではなく、「逆境を乗り越え夢を叶えた人間の物語」を伝える場所です。英世が歩んだ人生は、今を生きる私たちに、挑戦と努力の大切さを教えてくれます。猪苗代の美しい自然に包まれたこの記念館を訪れれば、きっと誰もが勇気と感動を得ることでしょう。