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恵隆寺(立木観音)

(えりゅうじ たちき かんのん)

日本最大級の一木造仏に願いを込める歴史ある寺院

恵隆寺は、福島県河沼郡会津坂下町にある真言宗豊山派の寺院です。山号は金塔山で、本尊は十一面千手観音菩薩です。通称は「立木観音」として知られ、会津ころり三観音の一つとしても信仰を集めています。

立木観音の魅力

日本最大級の一木造千手観音立像

立木観音と呼ばれるこの像は、身の丈7.4メートル、総高8.5メートルの大きさを誇り、一木造の仏像としては日本最大級です。伝承によれば、この観音像は弘法大師(空海)の作で、床下にその根が続いているとされています。

観音像の両脇には、室町時代に作られた「二十八部衆立像」の眷属や風神・雷神像が配置されており、これらが完全な姿で残っているのは国内でも非常に珍しいです。また、観音堂自体も鎌倉時代の建立で、茅葺の寄棟造りという会津地方特有の建築様式を持っています。

季節の美しさ

恵隆寺の境内は、四季折々の美しい風景で知られています。特に春には、山門付近の桜が見事に咲き、参道にも花びらが舞い散り、訪れる人々を楽しませてくれます。また、4月中旬には境内全体で桜が咲き誇り、桜の名所としても多くの人々が訪れます。

立木観音の歴史

創建の伝承

恵隆寺の創建に関する伝承は二つあります。一つは『会津温故拾要抄』によるもので、欽明天皇元年(540年)に梁の僧・青岩が高寺山に庵を結び、その後、舒明天皇6年(634年)に僧・恵隆が恵隆寺と名付けたとされています。

もう一つは『会津風土記』(寛文6年〈1666年〉成立)によるもので、大同3年(808年)に空海の意を受けて坂上田村麻呂が創建したというものです。しかし、これらの伝承は史実としては認めがたい部分も多く、正確な創建時期や経緯については不明です。

伽藍の変遷

かつては恵隆寺周辺には一大伽藍や36坊もの堂宇がありましたが、現在では仁王門、本堂、観音堂(立木観音堂)のみが残されています。これらの建造物は、時代の流れの中で幾度も修理・再建が行われてきました。

重要文化財

観音堂

観音堂は立木観音堂とも称され、鎌倉時代の建久年間(1190年~1199年)に建立されたとされています。その後、慶長16年(1611年)の会津地震で倒壊しましたが、元和3年(1617年)に修理・再建されました。江戸時代中期や大正5年(1916年)にも修理が行われています。

観音堂は桁行5間、梁間4間の寄棟造りで、茅葺きの屋根を持ち、棟には会津地方特有の棟飾りを供え、内部には巨大な円柱や豪壮な板壁が見られます。

木造千手観音立像

観音堂内には、恵隆寺の本尊である42臂の千手観音像が安置されています。この像は一木造りで総高8.5m、像高7.4mという大きさで、立木を刻んで作られたと伝えられています。長年「立木観音」として親しまれており、鎌倉時代の作とされています。

十一面千手観音は、大同3年(808年)に弘法大師が夢のお告げを受けて桂の大樹から彫りあげたものです。この本尊は像高8.5mの千手観音で、「立木観音」と呼ばれています。参拝者はこの観音像を通じて、貪り(むさぼり)、妬み(ねたみ)、怒り(いかり)の三毒を除き、七難を七福に変えるご利益を受けることができるとされています。

風神・雷神像

立木観音の従者として、極彩色の風神・雷神像も安置されています。風神像は風袋を背負った青鬼、雷神像は小太鼓の輪を巡らせた赤鬼の姿をしており、その芸術的価値は高く評価されています。

二十八部衆

立木観音堂には、千手観音像を中心に二十八部衆が祀られています。これらの像はご本尊を彫刻して残った枝で作られ、草木で染色されています。各像は東西南北や上下に配置され、その配置方法は「千手観音造次第法儀軌」に基づいています。

だきつき柱

立木観音堂には「だきつき柱」と呼ばれる柱があります。この柱に抱きついて念願を唱えれば、何事も成就すると言われています。特に、死の床についたときに長患いすることなく成仏できるよう願う参拝者が多く訪れます。

その他の見どころ

小金塔

昭和57年(1982年)、境内にあった小金塔跡から4個の礎石が発見されました。その後、再建のための募金活動が行われ、平成12年(2000年)に素木造りの三重の塔が完成しました。この塔の本尊として祀られていた胎蔵界大日如来像も修復され、現在も多くの参拝者が訪れます。

仁王門

仁王門は慶長16年(1611年)の会津地震で倒壊し、3年後に再建された最初の建造物です。この門は、古刹の山門を守るための金剛力士の木造立像(町指定重要文化財)を持ち、阿形と吽形の仁王像が配置されています。

緑の文化財

境内には、立木観音堂を建立したときの記念樹が5本植えられました。そのうち、イチョウ、ヒノキ、カシワの古木が現存しており、これらの木は樹齢800年を超え、県指定の緑の文化財として保護されています。

恵隆寺の周辺施設

恵隆寺(立木観音)の周辺には、歴史的な建造物や神社が点在し、訪れる人々に様々な文化的・歴史的な魅力を提供しています。以下では、これらの周辺施設について詳しくご紹介します。

旧五十嵐家住宅

恵隆寺の東側に移築された「旧五十嵐家住宅」は、江戸時代の建築物です。この住宅はその歴史的価値が認められ、国の重要文化財に指定されています。

心清水八幡神社

恵隆寺の西側には、心清水八幡神社があります。塔寺八幡宮とも呼ばれるこの神社は、社伝によれば、陸奥守源頼義が天喜3年(1055年)にこの地に八幡神社を勧請したことが始まりとされています。現在の社殿は文久年間(1863~1865年)に会津藩によって造営されました。現在、神社には『塔寺八幡宮長帳』と称される長大な日誌と鰐口が保存されており、それぞれ国の重要文化財に指定されています。

Information

名称
恵隆寺(立木観音)
(えりゅうじ たちき かんのん)

会津・喜多方

福島県