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霧幻峡の渡し

(むげんきょう わたし)

奥会津に甦った幻想的な渡し舟

福島県大沼郡の三島町と金山町にまたがる只見川。その川面を静かに進む「霧幻峡の渡し(むげんきょうのわたし)」は、かつて地域住民の生活の足であった手漕ぎの渡し舟を、観光用として復活させたものです。周辺は美しい自然に囲まれた越後三山只見国定公園に属し、川霧が立ち込める幻想的な風景から「霧幻峡」と名づけられました。

霧幻峡の魅力

幻想的な川霧の風景

「霧幻峡」という名の通り、6月から8月の朝夕には只見川に濃い川霧が発生し、舟旅に幻想的な雰囲気を与えます。川霧に包まれる渡し舟は、まるで夢の中を漂っているかのような美しさで、訪れる人々を魅了します。この光景を一目見ようと、国内外から多くの観光客が訪れています。

渡し舟の復活

かつて約50年前まで、只見川沿いの集落を結んでいた渡し舟は地域住民にとって欠かせない交通手段でした。ところが時代の変化とともにその役割を終え、一度は姿を消しました。しかし2010年、奥会津の郷土写真家星賢孝氏を中心に「霧幻峡プロジェクト」が立ち上げられ、渡し舟は観光資源として蘇りました。こうして「霧幻峡の渡し」は再び人々を川の流れへと誘う存在となったのです。

霧幻峡の渡しの歴史

三更集落の渡し舟

金山町三更地区では、かつて10戸すべての住民が自前で渡し舟を所有し、対岸の早戸集落と行き来していました。ところが、この地域は地滑りが起きやすい地質で、さらに硫黄採掘による地盤の不安定化が加わり、1950年代から山の崩落が相次ぎました。1963年と1964年の大規模な山崩れを機に住民は集落を離れ、雨沼地区へと移転することになりました。これにより、生活の中で使われていた渡し舟も自然と姿を消しました。

渡し舟の再生と保存

長らく途絶えていた渡し舟は、2010年に「霧幻峡プロジェクト」として復活しました。補助金を活用して新たに2艘の舟を建造し、土日祝日を中心に運航を開始。2012年には福島県が選定する「ふくしまの水文化」にも登録され、地域文化としての価値が再認識されました。さらに2019年には、運航権が金山町観光物産協会に引き継がれ、現在も地元の船頭6名によって観光客を案内しています。

霧幻峡の渡しの運航について

運航期間とプラン

「霧幻峡の渡し」は4月下旬から11月中旬まで、日の出から日没まで運航されています。乗船は予約制で、周遊プラン(約45分間)散策付きプラン(約90分間)の2種類が用意されています。どちらのプランも、只見川の穏やかな流れの中で雄大な自然を楽しむことができます。

乗船場所とアクセス

乗船場はJR只見線早戸駅の近くにあり、公共交通機関を利用する観光客にとっても便利です。観光シーズンには多くの人で賑わい、特に台湾をはじめとした海外からの観光客も多く訪れています。地域の国際的な観光資源として注目を集めている点も特徴的です。

霧幻峡周辺の魅力

自然と歴史を感じる散策

霧幻峡周辺には、四季折々の自然が広がり、散策やトレッキングにも最適です。川霧に包まれる幻想的な景色だけでなく、新緑の季節にはみずみずしい緑が、秋には紅葉が訪れる人々を楽しませます。また、三更集落跡には、県外の人が所有する曲り家の古民家があり、不在時には観光客向けに開放されています。歴史と暮らしの息吹を感じられる貴重な体験ができるでしょう。

只見川の雄大な自然

只見川は奥会津を代表する清流で、その美しさから「日本の秘境」とも呼ばれます。川面を渡る風、迫力ある渓谷、そして幻想的な川霧が織りなす風景は、訪れる人々の心を癒します。舟旅の最中には、まるで時が止まったかのような静けさに包まれ、日常から離れたひとときを過ごすことができます。

まとめ ― 霧幻峡で味わう心の癒し

「霧幻峡の渡し」は、かつての暮らしの足であった渡し舟を現代に蘇らせた、奥会津ならではの観光体験です。川霧に包まれる幻想的な風景はもちろん、地域の歴史や文化を体感できる点も大きな魅力です。乗船体験を通じて、只見川の自然と、そこに生きた人々の営みを感じることができるでしょう。

一度は訪れてみたい「癒しの舟旅」。それが「霧幻峡の渡し」です。都会の喧騒を離れ、静けさと自然美に包まれるこの場所で、心も体もリフレッシュしてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
霧幻峡の渡し
(むげんきょう わたし)

会津・喜多方

福島県