塩屋埼灯台は、福島県いわき市平薄磯に位置する、白砂青松の美しい海浜が連なっている「いわき七浜」海岸線の真ん中に突き出た岬に立つ美しい白亜の灯台です。
全国でも珍しく登ることができる灯台で、太平洋の絶景を楽しむことができます。地元では「豊間の灯台」とも呼ばれ、立地と、白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」にも選ばれています。
周辺は、磐城海岸県立自然公園に指定され、太平洋に臨んで、北に薄磯海岸、南に豊間海岸と海水浴の適地に恵まれ、マリンスポーツファンにも人気があります。
塩屋埼灯台の最大の魅力は、灯台の最上階から眺めることのできる壮大な太平洋の景色です。心地よい海風を浴びながら、太陽にきらめく海を眺めるひとときは、日常の疲れや悩みを忘れさせてくれるでしょう。特におすすめの時間帯は夕日が美しい日没の頃で、赤々とした太陽と海の絶景を堪能できます。
塩屋埼灯台は、明治32年(1899年)に開設され、海抜73メートルの断崖に立つ白亜の灯台です。地上から頂部まで27メートルで、全国に16基しかない「のぼれる灯台」の一つであり、今でも沖合40kmの海上まで光を放ち、船の安全を守っています。
昭和31年には雑誌に掲載された灯台長の奥様の手記が、映画「喜びも悲しみも幾歳月」の原点となっています。美空ひばりの名曲「みだれ髪」の歌詞「塩屋の岬」で有名となり、ふもとには「みだれ髪」の歌碑が建立され、「ひばり灯台」としても親しまれ、多くの観光客が訪れています。
一帯は潮の流れが激しく、暗礁も多いため、海上交通の難所として古くから知られていました。江戸時代には狼煙台が設置されましたが、1899年(明治32年)12月15日に煉瓦石造で建設され、初点灯しました。その後も幾度かの改修や再建を経て、現在の鉄筋コンクリート造の灯台となりました。
第二次世界大戦中、塩屋埼灯台は米軍の標的となり、度重なる攻撃により破壊されましたが、1947年(昭和22年)に本灯が復旧しました。その後も戦災復旧工事が行われ、1950年(昭和25年)にはレンズや灯器が修復されました。
1957年(昭和32年)には映画「喜びも悲しみも幾歳月」が公開され、灯台職員とその家族の長い人生の哀歓を描いた作品として大ヒットしました。この映画の原案は、当時の塩屋埼灯台長夫人・田中きよの手記「海を守る夫とともに20年」に基づいており、映画には塩屋埼灯台も登場しました。
1977年(昭和52年)には霧信号所の設備が変更され、1993年(平成5年)には無人化されました。2008年(平成20年)には無線方位信号所が廃止され、2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震による一時的な消灯を経て、現在も灯台としての役割を果たし続けています。
塩屋埼灯台は、その美しい立地と歴史的な背景から、観光スポットとしても非常に人気があります。周辺は磐城海岸県立自然公園に指定されており、海水浴やマリンスポーツを楽しむことができる薄磯海岸や豊間海岸が広がっています。訪れる人々は、壮大な太平洋の景色と歴史を感じることができるでしょう。
位置:北緯36-59-42 東経140-58-55
灯質:単閃白光 毎15秒に1閃光
光度:44万カンデラ
光達距離:22海里(約40km)
高さ:地上から頂部まで27m
平均水面から灯火まで:73m
地上から灯火まで:23.6m