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子鍬倉神社

(こくわくら じんじゃ)

家族の絆を深める衣食住の神様

子鍬倉神社は、福島県いわき市平揚土に位置する由緒ある神社です。式内小社であり、旧社格は県社に分類されます。

歴史

子鍬倉神社の創建は大同元年(806年)と伝えられています。「延喜式内社」にも記載され、式内社磐城七社の一つとして知られています。古くは磐城四郡(菊多郡、磐城郡、磐前郡、楢葉郡)の総鎮守として崇敬されていました。

また、平城を守る神「平城三社」の一つとして、歴代の平城主から篤く信仰されてきました。慶長6年(1602年)に磐城平城の築城に伴い社地が狭まり、一時は荒廃しましたが、文政9年(1826年)に第4代平藩主・内藤義概によって復興され、現在の位置に再建されました。

近代の歴史

明治6年(1873年)3月、子鍬倉神社は県社に列格され、昭和21年に近代社格制度が廃止された後も「けんしゃ」の愛称で親しまれています。明治7年には南正面の断崖を切り開いて「男坂」を造り、大正10年には「女坂」が完成しました。

社名の由来

「子」は「蚕」を意味し、「衣」を象徴します。「鍬」は農具で「食」を、「倉」は「住」を意味し、「衣食住」の御祭神の神徳を表現しているとされています。この三つの要素が社名の由来となっています。

社殿の変遷

天保2年4月の火災で社殿は消失し、多くの古文書や神宝も失われました。現在の本殿は嘉永6年5月に滝根町の大工、横田杢左エ門によって造営されました。さらに、文部省嘱託の塚本慶尚氏の設計監督により、昭和4年に現在の幣殿と拝殿が完成しました。

「県社」の愛称で親しまれる神社

子鍬倉神社は「県社」の愛称で親しまれており、延喜式内磐城七社の一つとして、その名は古くから知られています。中世の間に断絶しましたが、平藩主内藤義概の調査により、桜町に残っていた稲荷小社を子鍬倉神社の古跡と同定し、復興されました。社殿は現在の揚土に造営されています。

御祭神と社名の意味

子鍬倉神社の御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)であり、社名の子鍬倉は「衣食住」を表現しています。これにより、生活に密着した神徳があるとされています。

例大祭

子鍬倉神社の例大祭は4月18日に行われます。その週末には2基の神輿が平市街地を渡御し、多くの人々が参加する大規模な祭りとなっています。

摂社と兼務神社

子鍬倉神社には以下の摂社と兼務神社があります。

また、八坂神社も兼務しています。

まとめ

子鍬倉神社は、長い歴史と地域の信仰を背負った神社です。古くから磐城四郡の総鎮守として、また平城の守り神として崇敬されてきました。近代に入ってもその信仰は続き、多くの人々に親しまれています。豊かな歴史と伝統を持つ子鍬倉神社は、今後も地域の精神的な支えとして存在し続けることでしょう。

Information

名称
子鍬倉神社
(こくわくら じんじゃ)

いわき・相馬

福島県