吹風殿の由来
今から千年ほど前、なこその関では道を覆い尽くすほど花が散っていました。陸奥守兼鎮守府将軍をつとめた源義家は、次の歌を詠みました。
「吹風を なこその関と おもへども 道もせにちる 山桜かな」
この歌にちなみ、名付けられたのが「吹風殿(すいふうでん)」です。歌が詠まれた平安時代の邸宅を模した体験学習施設で、現代の歌人を待っています。
施設の特徴
平安時代の雰囲気を味わい、体験していただける憩いの場として、また歴史・自然に触れ合う総合学習の場として利用いただけます。野点や歌会、伝統芸能などの発表の場としても利用できます。
勿来の関公園
勿来関(なこそのせき)は古代から歌枕となっている関所の一つで、江戸時代の終わり頃からは「奥州三関」の一つに数えられています。江戸時代初期に現在の福島県いわき市勿来町関田字関山に「なこその関」を見立てるようになり、観光地化しました。江戸時代に関田村を領していた磐城平藩は、17世紀に桜の植樹をするなど、関跡に見立てた整備事業をたびたび行いました。
勿来の関公園の歴史と役割
奥州三古関のひとつである「勿来の関」が位置する勿来地区は、古くから東北の玄関口としての役割を果たしてきた歴史性を有しています。また、県境地域に連なる山岳地に代表される豊かな自然環境も持ち合わせています。その中で、本市観光の南部拠点の一つである勿来の関公園は、古くから桜の名所として県内外の人々から親しまれています。
公園の主な歴史的イベント
- 1951年(昭和26年):福島県立自然公園としての指定。
- 1960年(昭和35年):風致公園として都市計画決定がなされる。
- 1986年(昭和61年):遊歩道、詩歌の小径、駐車場等の整備が行われる。
- 1988年(昭和63年):いわき市勿来関文学歴史館(観光施設)が開館。
- 2001年(平成13年):いわき市勿来関文学歴史館(観光施設)が供用再開。学芸員を配置し小規模な企画展を開催。
- 2007年(平成19年):いわき市勿来の関公園吹風殿(公園施設)が開館。平安貴族の邸宅風の建物と庭園、休憩所やイベント会場として多目的に活用される。
吹風殿の現代的活用
現在、吹風殿は桜の名所としても知られ、多くの人々が訪れます。また、古賀春一(勿来砿を主力とした大日本炭砿会社の創立者)の彰徳碑もあります。
吹風殿は、現代においてもその美しい建築様式と歴史的背景を楽しむことができ、歴史や文化を学ぶ場として多くの人々に利用されています。