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磐城平城 本丸跡地

(いわきたいらじょう ほんまる あとち)

城下町・磐城平を本拠地とした城郭の遺構が残る

磐城平城本丸跡地は、福島県いわき市に位置し、桜や梅が美しい和風庭園や歴史ある石垣が残る名所です。この場所は江戸時代に建てられた磐城平城を偲ぶ本丸跡地であり、いわきの歴史を感じることができます。

和風庭園の魅力

本丸跡地の和風庭園には、春になると梅や桜が咲き誇ります。特に桜の開花シーズンには桜祭りが開催され、幻想的なライトアップもされるなど、大いに賑わいます。この庭園は、四季折々の自然の美しさを楽しむことができる場所として、多くの人々に愛されています。

歴史を感じる名所

磐城平城本丸跡地には、明治時代に藩政が行われた旧仮藩庁や、立派な石垣、白蛇の言い伝えが残る白蛇堀など、歴史を感じさせるスポットが多数あります。これらの遺構は、訪れる人々に当時の様子を偲ばせ、いわきの歴史を深く感じさせるものです。

磐城平城の歴史

磐城平城は、慶長7年(1602年)に鳥居忠政が築城を始め、慶長19年(1614年)に完成しました。この城は天守閣を持たず、高さ四丈三尺の三階櫓がその役割を果たしていました。別名「龍ケ城」とも呼ばれ、旧仮藩庁や石垣、白蛇堀などが現存しています。

沿革

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの結果、それまで飯野平城を居城としていた岩城氏が追放され、1602年(慶長7年)に徳川幕府譜代の鳥居忠政が飯野平に転入しました。鳥居忠政は、都市名を戦国時代までの「飯野平」から「磐城平」に改め、磐城平藩を樹立しました。

磐城平城の建設は1603年(慶長8年)に着工され、12年の歳月を費やして1615年(慶長20年/元和元年)に完成しました。城は梯郭式平城で、本丸の三層櫓がその代わりとなりました。その姿は「磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」と詠われました。

また、磐城平を鳥居忠政の本拠地とした主な目的は、仙台を本拠地とする伊達政宗への牽制でした。

戊辰戦争と磐城平城

1868年(明治元年)の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に与した当時の磐城平藩家老・上坂助太夫が、磐城平攻防戦で明治政府軍に敗れ、自ら城を焼き払って逃走しました。

城周辺の歴史と遺構

城内には御三階櫓・隅図櫓・塗師櫓・八ッ棟櫓・追手門櫓・中門櫓・六間門櫓などがありました。また、茶室緑天庵も記録に残っています。鳥居忠政が磐城平を本拠地とした際、城下町は武家町・町人町・寺町に分かれていました。

現在残っている遺構は、石垣・土塁・水堀であり、一部は丹後沢公園として保存されています。また、岩城氏以来の歴史遺産を展示する龍ヶ城美術館も立地しています。

磐城平城の再生計画

2010年(平成22年)には、磐城平城跡の市民公園への移行を目指す「磐城平城史跡公園の会」が設立されました。また、毎年9月には「龍ヶ城月見の宴」が開催されています。

2016年(平成28年)9月22日には、三層櫓の形をした高さ13メートルの看板が本丸跡地に建てられ、いわき市の市政施行50周年にあたる10月1日から10日間、ライトアップが行われました。

旧仮藩庁の歴史

旧仮藩庁は、戊辰戦争後の慶応四年(西暦1868年)に磐城平城が廃城となった後に建てられました。明治二年(西暦1869年)に安藤信勇が版籍奉還により知藩事となった際に建てられ、この建物で藩の政務が執られました。

明治四年(西暦1871年)の廃藩置県により、信勇は免官され、平を離れました。その後、幾度か改築されて現在の形となっています。

白蛇堀の言い伝え

白蛇堀は、磐城平城の水手曲輪の中にある堀であり、白蛇が棲みついたことからこの名称がつけられました。白蛇堀は、水手曲輪の溜池として籠城の際には生命線となるものであったと考えられています。

庭園と湧き水の魅力

庭園には松や槙が植えられ、桜や梅の花が咲き誇ります。大小さまざまな水石も飾られ、四季折々の自然を感じることができます。また、白蛇堀には枯れることなく水を注ぐ湧き水があり、言い伝えでは殿様がお茶を点てる際に使ったと言われています。

芝生広場の楽しみ方

旧仮藩庁の前には約300坪の広場が広がり、芝生の上でくつろぐことができます。また、広場に面したステージもあり、様々なイベントが開催されます。

Information

名称
磐城平城 本丸跡地
(いわきたいらじょう ほんまる あとち)

いわき・相馬

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