隠津島神社は、福島県二本松市木幡に鎮座する神社です。かつては弁才(財)天宮と称しており、現在も「木幡の弁天様」として親しまれています。12月に行われる木幡の幡祭りが日本の重要無形民俗文化財に指定されています。旧社格は県社です。
隠津島神社は、景雲3年(769年)に安積国造比止弥の子孫、途丈部直継足の三男・継宣が勧請したと伝えられています。大同年間(806年)に平城天皇の勅願により弁天堂が建立されて以来、木幡の弁天様として親しまれています。平安時代に創られた境内には、文明4年(1472年)に建立された三重の塔もあります。
隠津島神社は、阿武隈山脈の西斜面に位置する木幡山の8合目に巨岩を背にして鎮座しています。木幡山全域が境内地であり、山麓には遙拝殿もあります。木幡山は古くから神霊の宿る山として「御山(おやま)」とも称され、信仰の対象とされてきました。
隠津島神社の祭神は、隠津島姫命(おきつしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たきつひめのみこと)の宗像三女神を祀っています。木幡山の「木幡」は「蚕機(こはた)」の謂れとされ、養蚕の神としても崇められています。
社伝によれば、神護景雲3年(769年)に安積(阿尺)国造の丈部継足が、3男である継宣を社司に定めて山中に勧請したのが創祀で、大同年間(9世紀初頭)に平城天皇の勅願により神仏が習合した両部神道に基づいて「隠津嶋神社弁財天」と称するようになったといいます。これが『延喜式神名帳』に「隠津嶋神社」として登載された式内社と見る説もありますが、確定はされていません。
中世以降は治陸寺が別当寺として関わり、天台宗寺院であった治陸寺と共に信仰の中心として栄えました。しかし、明治2年(1869年)の神仏分離令により治陸寺との関係を断ち、弁才天宮は「厳島神社」と改称、後に「隠津島神社」となりました。
隠津島神社の例祭は4月25日です。特に有名なのは12月に行われる木幡の幡祭りで、古くから続く伝統的な祭りです。昭和41年(1966年)までは陰暦11月18日に行われていましたが、翌年から陽暦12月の第1日曜日に行われるようになりました。この祭りは、源頼義・義家父子が祈願したことが起源と伝えられ、毎年降雪があるとの言い伝えもあります。
木幡の幡祭りは、隠津島神社の氏子である9つの地域が集まり、大幡を担いで木幡山の山中および山麓を羽山神社まで練り歩く神事です。この祭りは、前九年の役において源氏が木幡山に立て籠もった際の逸話に由来するとされています。また、幡は白絹で縫うのが本来で、後に色物を用いるようになったとも言われています。
祭りの3日前から男性氏子は集落毎に堂社に籠り、女性は幡の準備を行います。当日朝には各堂社毎に行列を組み、旧木幡第一小学校に集合します。その後、幡組とゴンダチ(成人儀礼に参加する男子)の一行に分かれ、羽山神社を目指します。ゴンダチはくぐり岩を潜り抜ける儀式や初宮詣などを行い、成人として認められます。
祭典後には各堂社に戻り、直会が行われます。また、祭りで使用した布は持ち主へ返却され、その布で作った着物を子供に着せると無病息災に育つとされています。
隠津島神社を式内社「隠津嶋神社」に比定する説がありますが、他にも論社が存在し、確定はされていません。江戸時代後期には「安達郡中の大社」として崇敬を受けていました。
例祭や幡祭りを通じて、地域の信仰の中心として現在も多くの人々に親しまれています。