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福島稲荷神社

(ふくしま いなり じんじゃ)

福島稲荷神社は、福島県福島市宮町にある神社です。福島旧城下町の総鎮守であり、旧福島町を氏子範囲としています。福島中心市街地に立地し、大祭や初詣で多くの市民が訪れる人気の場所です。「御神狐」と呼ばれる狐の木造があり、多くの人々に親しまれています。

現在の社殿とその特徴

現在の社殿は明治神宮宝物殿や神田神社本殿の設計を手がけた大江新太郎の設計によるもので、1938年(昭和13年)に竣工しました。表参道と西参道の二基のヒノキ大鳥居は、明治神宮創建の際に建立された東玉垣鳥居と西玉垣鳥居であり、明治神宮の格別の計らいにより1965年(昭和40年)に交付され、1966年(昭和41年)に移築されました。これらの鳥居は、木の色を生かしつつ修復しながら創建時に近い形を保ち続けています。

神社の歴史

福島稲荷神社の由緒は、社伝によれば第66代一条天皇の永延元年(987年)、陰陽道博士である安倍晴明が奥羽下向の際に吹島の里(現在の福島市)に社を建て、豊受比売大神を勧請し、里の総鎮守としたことに始まります。承安元年には晴明の孫である安倍清明が社殿を改築しました。

その後、天正、慶長年間には兵火で焼失しましたが、寛永元年に板倉重憲が修営し、元禄2年(1689年)には福島藩主堀田正仲が本殿を再建しました。さらに元禄5年(1692年)には拝殿を復興造営しました。江戸時代には福島藩の鎮守とされ、代々の藩主の尊崇を集めてきました。明治28年に県社に列しましたが、明治35年の大暴風災害により本殿と玉垣が倒壊しました。

昭和の大修理

大正天皇の御即位記念事業として社殿の復興が始まりましたが、さまざまな紆余曲折を経て昭和9年に改修事業が開始され、昭和13年に現在の社殿が竣功しました。しかし半世紀に及ぶ歳月を経て屋根の傷みが目立ち、参道も損傷が大きくなりました。

昭和62年に御鎮座一千年の佳年を記念して、御社殿屋根葺替えと参道改修工事が行われました。工事は明治神宮営繕課の監理指導のもと進行し、昭和62年4月に着工し、2年後に「昭和の大修理」が完成しました。平成元年10月には竣功奉告祭が行われ、平成3年秋には絵馬殿、神楽殿、手水舎の屋根替え、鳥居の修理も完了しました。

現在の社殿

現在の社殿は、昭和13年に内務省大江博士の設計によって竣功しました。拝殿・幣殿・本殿には上質の台湾桧が用いられ、総建坪58坪余りの広さを誇ります。拝殿の中央は他の柱間の倍近く取り、古風な蔀の感覚を生かしたガラス戸が特徴です。拝殿の屋根は破風を配した美しい流れを見せ、神苑を囲む玉垣透塀の連子格子も社殿の平明さと調和しています。

昭和62年の屋根替えでは、下地木材の取替え、良質な肉厚の銅板の使用、拝殿屋根谷部分には融雪用セラミック製ルーフヒーターを敷設するなど最新の技術を駆使しました。外観上も純金製飾り金具と相まって重厚感あふれる屋根に生まれ変わりました。

ヒノキの大鳥居

南参道と西参道の二基の鳥居は、大正9年明治神宮御鎮座の際に建立された由緒ある東・西外玉垣鳥居です。昭和40年に明治神宮の格別の計らいにより福島稲荷神社に交付され、翌昭和41年に全市を挙げての盛大な御木曳き行事も実施され、無事移築竣功をみました。鳥居扁額の文字は、当時の明治神宮甘露寺受長宮司による揮毫です。

沿革

987年(永延元年): 安倍晴明が奥州に下向した際、信太明神を勧請したことに始まる。
1171年(承安元年): 晴明の孫の安倍清明が社殿を改築。
1624年(寛永元年): 板倉重憲が社殿を修営。
1689年(元禄2年): 福島藩主堀田正仲が本殿を再建。
1692年(元禄5年): 拝殿を再建。
1740年(元文5年): 福島藩主板倉重寛が社殿を再建。
1905年(明治28年): 県社に列す。
1902年(明治35年): 大暴風災害により社殿が倒壊。
1929年(昭和4年): 社殿を改築。
1966年(昭和41年): 明治神宮の東西外玉垣鳥居を移築。

陰陽師 安倍晴明の伝説

今から千年の昔、平安時代の京の都に天才陰陽師の安倍晴明がいました。その出自には不思議な伝説があります。安倍晴明は、白狐の葛乃葉と人間の安倍保名の間に生まれたとされ、母親の霊力を受け継いで天才陰陽師として君臨しました。晴明は朝廷の陰陽寮に仕え、優れた才能により安倍家を賀茂家と並ぶ陰陽師の家に押し上げました。

陰陽道とは暦学や天文学の知識を活かした宗教で、平安時代の日本で成立しました。晴明を始めとする陰陽師たちは、天体観測や暦の作成、呪いや占い、祭りを行いました。晴明の伝説は時代と共に広がり、浄瑠璃や歌舞伎、能などで取り上げられてきました。

福島における晴明伝説

福島市には、福島稲荷神社以外にも晴明伝説が伝えられています。杉妻大明神、晴明塚、道満塚の伝説です。杉妻大明神は、神亀年間に笹木野村にあった大きな杉の木が切り倒された際、その精が祟りをして天皇が病気になり、安倍晴明と蘆屋道満が東奥(福島)に遣わされて祟りを鎮めたとされています。

晴明塚は晴明の功を称えて祀った塚であり、羽黒山真浄院の境内にあったと伝えられています。道満塚は蘆屋道満が祈祷した祭壇とされ、太田町ガード西南付近にあったと言われています。

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名称
福島稲荷神社
(ふくしま いなり じんじゃ)

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