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医王寺

(いおうじ)

医王寺の概要

医王寺は、福島県福島市に位置する真言宗の寺院で、その山号は瑠璃光山です。寺の名は薬師如来の別称「医王」に由来し、古くから親しまれています。この寺は中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺であり、奥州三十三観音特別霊場の一つでもあります。

沿革

医王寺の開創については、明治に初版が出版された『大日本地名辞典』によれば詳らかではありませんが、寺の縁起によると、826年に空海によって開山されたと伝えられています。その後、治承年間に佐藤基治が再興し、寛永期には福島真浄院の快翁によって「重興す」と記されています。境内には平安時代末期の武士で奥州藤原氏の姻族・佐藤基治とその子、佐藤継信と佐藤忠信の墓とされる板碑が残されています。また、その他にも鎌倉期の板碑が数基存在します。

松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の際に訪れ、「笈も太刀も 五月(さつき)に飾れ 紙幟(のぼり)」という句を詠んでいます。この句に登場する笈は、武蔵坊弁慶が寄進したものという言い伝えがあります。

本堂と境内

医王寺の本堂は、1806年(文化3年)に再建され、ご本尊は大日如来です。境内には弘法大師(空海)が作った薬師如来を祀った薬師堂や、松尾芭蕉の句碑、平安時代末期の信夫荘司佐藤基治公、その子の佐藤継信・忠信兄弟の墓石が存在します。さらに、源義経、武蔵坊弁慶、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる寺宝も数多くあります。

本堂には、討死にした継信、忠信兄弟の母乙和御前を慰めたとされる人形があります。これは継信の妻「若桜」と忠信の妻「楓」が夫の武者姿に扮したという悲しい物語に基づいています。この優しくて気丈な二人の人形が本堂に祀られています。

鯖野薬師堂

医王寺の奥の院には、佐藤一族が信仰した薬師如来を祀る「鯖野薬師堂(さばのやくしどう)」があります。この地で温泉を発見した鯖湖親王を祀るお宮があり、その名に由来する「鯖野」という地名がつけられました。平安時代末期に玄心僧都が勧請し、お堂が建てられました。「鯖野の薬師様」として、多くの人々の信仰を集め続けています。

瑠璃光殿

瑠璃光殿(るりこうでん)では、県重要文化財や市指定有形文化財など、多数の宝物を展示しています。源義経が佐藤基治に形見として与えたとされる着物の端切れや、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる物品、木地鞍(きじくら)、恨みの矢の根、鍍金装笈(おい)などが含まれています。特に、義経と共に逃れた弁慶が奉納したと伝えられる笈は、福島県の文化財として重要視されています。

乙和の椿

薬師堂の裏手には「乙和の椿」と呼ばれる椿の木があります。この椿には、討死にした佐藤兄弟の母、乙和御前の悲しみと情が乗り移り、花が咲く前に蕾のまま落ちるという伝承があります。

松尾芭蕉の句碑

「奥の細道」の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」という句を残しました。この句は、笈も太刀も武蔵坊弁慶が寄進した物であるという言い伝えに関連しています。

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