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須賀川牡丹園

(すかがわ ぼたんえん)

日本唯一の国の名勝に指定された華麗な牡丹の園

福島県須賀川市にある須賀川牡丹園は、今から250年余り前の明和3年(1766年)に薬種商であった伊藤祐倫が牡丹の根を薬用にするために栽培したのが始まりとされています。

その後、明治時代初期に柳沼家が受け継ぎ、種類や株数を増やし、現在は10ヘクタールの広大な園内に、290種7,000株もの華麗で優美な牡丹が咲き誇り、世界最大級に発展しました。昭和7年には、全国で唯一、牡丹園として国の名勝に指定されました。

園内の魅力

須賀川牡丹園の最大の魅力は、なんといってもそのスケールと種類の豊富さです。須賀川牡丹園は10ヘクタールの広さを持ち、東京ドームの約3倍に相当します。4月下旬から5月中旬にかけて約1ヶ月間、園内には290種類、7,000株もの牡丹が咲き誇ります。

特に注目すべきは、200年以上の古木や須賀川独自の品種「昭和の夢」、友好都市である中国洛陽市から贈られた珍しい中国牡丹「豆緑」などです。これらの花々は、訪れる人々を魅了し続けています。

牡丹姫像と交流の証

須賀川牡丹園の正面には牡丹姫像が立っています。この像は昭和62年、須賀川市と友好都市を結んでいる中国の洛陽市との交流の証として、洛陽市王城公園の牡丹仙子像を模して建てられたものです。

園内の案内とガイド

牡丹園では、観光ボランティアガイドが待機しており、訪れる人々に園内の魅力を詳しく案内してくれます。このサービスは無料で提供されており、牡丹の美しさや歴史に触れる貴重な体験ができます。

柳沼源太郎と牡丹園の基礎

牡丹園の基礎を築いたのは、三代目園主の柳沼源太郎です。源太郎は家業を離れ牡丹園に移り住み、牡丹の栽培に生涯を捧げました。彼の努力と情熱により、牡丹園の名声は高まりました。また、彼は俳句を趣味とし、「破籠子(はろうし)」の俳号で知られる俳人でもありました。彼の時代には、多くの文人墨客が牡丹園を訪れ、その魅力に触れました。

牡丹焚火:幻想的な冬の風物詩

毎年11月第3土曜日の薄暮から宵にかけて行われる牡丹焚火は、須賀川牡丹園の冬の風物詩です。大正時代に園主・柳沼源太郎が古木を供養するために始めたことがきっかけとされています。天寿を全うした古木を燃やす様子は、幻想的で厳かな雰囲気を醸し出し、訪れる人々に深い感動を与えます。

牡丹焚火は俳句の冬の季語にもなっています。牡丹焚火は多くの俳人によって詠まれており、その風情を表現した作品が数多く残されています。

吉川英治

文豪の吉川英治も須賀川牡丹園に深い関心を寄せており、小説『宮本武蔵』の風の巻には須賀川牡丹園の「牡丹焚火」のシーンが登場します。吉川英治が須賀川を訪れた際、源太郎が焚いた牡丹の木の光景に感銘を受け、その情景を作品に取り入れたと言われています。

Information

名称
須賀川牡丹園
(すかがわ ぼたんえん)

郡山

福島県