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岳温泉

(だけ おんせん)

岳温泉は福島県二本松市(旧国陸奥国、明治以降は岩代国)にある活火山安達太良山の中腹に位置する温泉地です。1955年(昭和30年)に国民保養温泉の一つに指定されました。

岳温泉は、その豊富な湯量と単純酸性泉の泉質で知られており、源泉温度は68℃です。主な効能は胃腸病や神経痛などです。

豊かな自然に囲まれた岳温泉

岳温泉は、日本百名山の一つである安達太良山の麓に広がる爽やかな高原の温泉郷です。豊かな水と緑に恵まれた国民保養温泉地でもあり、温泉神社への参道でもあるヒマラヤ大通りを中心に広がり、自然に囲まれつつも、昔ながらの温泉街の風情も感じられます。

岳温泉を含む「あだたら高原」とは、安達太良山の麓一帯のことを指し、放牧されている牛や野生のニホンリスを見かけることもあります。

ミニ独立国「ニコニコ共和国」の開国

岳温泉旅館協同組合は、1982年(昭和57年)4月28日に「ミニ独立国」ブームにあやかり、ニコニコ共和国を「開国」しました。これは観光の目玉として企画されたものです。

源泉と引湯

源泉は安達太良山直下にあるくろがね小屋近辺にあり、温泉街から約8kmも離れています。引湯管を用いてこの距離を湯が供給されています。

普段は透明なお湯ですが、週に一度だけ湯花流しにより乳白色のにごり湯となり、"ミルキーデイ"と呼ばれ岳温泉名物の一つとなっています。ミルキーデイは基本的に毎週月曜日ですが、悪天候や諸事情により日程がずれることもあります。

湯守と湯花流し

源泉の温泉成分が濃いため、空気に触れるとすぐに湯花が付着し、放置するとパイプが詰まり温泉街にお湯が届かなくなります。そのため、湯守(ゆもり)と呼ばれる人たちが週に一度パイプ内の湯花を落とす作業を行います。この作業を湯花流しといい、冬でもスノーシューを履いて源泉地帯まで歩き、雪の中から源泉や点検口を掘り出して行います。これにより、透明なお湯が乳白色のにごり湯になり、普段よりも一層なめらかなお湯が楽しめます。

岳温泉神社

温泉街の一角には岳温泉神社があり、高村光太郎の『智恵子抄』に詠われた安達太良山の広い斜面に位置し、阿武隈川を見下ろすことができます。

歴史

開湯からの歩み

『日本三代実録』の貞観5年(863年)10月29日の条の「小結温泉に従五位下を授ける」、また『日本紀略』の寛平9年(897年)9月7日の条にある「小陽日温泉に正五位下を授ける」とある温泉は岳温泉を指しているとされ、平安時代には京都でも知られていました。

江戸時代中期までは「陽日(ゆい)温泉」と呼ばれており、源泉地付近に温泉街があり、番所や藩主の御殿が存在し、湯女も許可されるなど歓楽温泉場として賑わっていました。しかし、1824年(文政7年)8月に土石流によって温泉街が埋まり、200人を超す死傷者を出す大惨事となりました。

十文字岳温泉時代

1825年(文政8年)に現在地より少し北の、陽日温泉から見て湯川の下流に当たる場所に移転し、「十文字岳温泉」として再建されました。この時から引湯管を用いた温泉供給が始まりました。十文字岳温泉は一時期栄えましたが、戊辰戦争の際に二本松藩によって焼き払われました。

深掘温泉時代

その後、1870年(明治3年)に現在地の南西に当たる別地に「深掘温泉」として再建されましたが、過去の温泉街のような賑わいはなく、素朴な温泉場となりました。1903年(明治36年)10月に旅館からの失火により全滅しました。

現在の岳温泉

1906年(明治39年)に地元の有志17名が岳温泉株式合資会社を設立し、再建が始まりました。しかし、1923年(大正12年)に経営不振で倒産しました。その後、実業家の木村泰治が岳温泉株式合資会社の負債を肩代わりし、温泉街を再建しました。1948年(昭和23年)には湯元から管を4000本以上つないで引湯し、温泉街が再建されました。

国民保養温泉地指定とニコニコ共和国

1955年(昭和30年)8月24日、国民保養温泉地に指定されました。1982年(昭和57年)4月28日、岳温泉旅館協同組合がニコニコ共和国を「開国」しました。

岳温泉の歴史を振り返る

岳温泉は土砂崩れや火災などによって幾度も移転を余儀なくされてきました。その歴史には、岳温泉を守り、受け継いできた先人たちの努力が詰まっています。現在の岳温泉に至るまでの歴史をご紹介します。

情熱と不屈の精神に守られた1200年の軌跡

遥か古代、安達太良山は人々の恐れとともに信仰崇拝の対象であり、源泉もまた“神の泉”として祠を作り神を祭るようになりました。『日本三代実録』の貞観5年(863年)の条や『日本紀略』の寛平9年(897年)の条に記された小結温泉は岳温泉を指しており、平安時代には既にその存在が京の都に知られていました。

山津波による崩壊

江戸時代になると、二本松藩により温泉街として整備され、歓楽温泉場としても賑わっていました。しかし、1824年に安達太良山の一角が崩壊し、土石流が温泉街を飲み込みました。この災害は『岳山崩一見』や『奥州二本松岳山変事筆記』に記録されています。

戊辰戦争による焼失

二本松藩は山津波後に温泉街を再建し、十文字岳温泉として繁栄しましたが、戊辰戦争の際に西軍の拠点になることを恐れた二本松藩士によって焼き払われました。

再々建と火災

明治維新後、住民は新たに「深堀温泉」として再建を試みましたが、1903年に火災で全滅しました。

現在地への再建と復興

火災後、地元有志が中心となり、現在の場所に岳温泉株式合資会社を設立して再建を始めました。1923年に経営不振で倒産しましたが、実業家木村泰治によって温泉街の再建が進められました。1955年には国民保養温泉地に指定され、1982年にはニコニコ共和国が開国し、観光地としての魅力を増しました。

アクセス

岳温泉は、福島県二本松市に位置し、福島交通のバスでアクセス可能です。二本松駅からバスで約30分の距離にあります。また、近隣には安達太良山や観光名所が点在しており、自然を満喫しながら温泉を楽しむことができます。

岳温泉の楽しみ方

岳温泉では、温泉街散策や美しい自然を楽しむことができます。また、安達太良山の登山やハイキング、冬にはスキーやスノーボードなどのアクティビティも充実しています。温泉街には歴史的な建造物や神社もあり、歴史と文化を感じながらリラックスすることができます。

Information

名称
岳温泉
(だけ おんせん)

郡山

福島県