二岐温泉は、福島県岩瀬郡天栄村に位置する温泉地で、その歴史は1200年以上にわたります。天栄村の中心部から車で約30分ほど山間に入ったところにあり、新緑のブナ林に覆われた急峻な山間部に位置し、秘湯として知られています。田園地帯を抜け、羽鳥湖高原からさらに山間部に入ると、小さな温泉郷が姿を現します。この温泉地は、つげ義春の漫画『二岐渓谷』の舞台としても有名です。自然と一体化した至福の岩風呂を楽しむことができる温泉地です。
二岐温泉は、会津地方と中通り地方の境界にある二岐山の山麓、二岐山の渓谷沿いに位置しています。標高800mの山峡にあり、ブナの原生林に囲まれた静寂の中での露天風呂は、訪れる人々に特別な癒しを提供します。この地域は「花街道特集郡山温泉」の一部としても紹介されています。
二岐温泉の泉質はカルシウム硫酸塩泉で、特に切り傷によく効くとされます。また保湿・保温効果が高く、「若返り効果」も期待できるとされています。温泉は二岐山に降った雨や雪が地下に染み込み、数十年の時を経て湧き出てくるもので、山々が保つ水が温泉の育ての親といえます。
効能は多岐にわたり、リューマチ、胃腸病、皮膚病、動脈硬化症、やけど、切り傷、慢性皮膚病、慢性消化器病、筋肉痛、関節痛、神経痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進に効果があると言われています。
二岐温泉の開湯は969年(安和2年)とされ、江戸時代には隠し湯として一般の人々の入浴が制限されていました。この長い歴史と独特の文化は、訪れる人々に深い感銘を与え続けています。
二岐温泉郷は中通りと会津の分水嶺となる二岐山の東側山麓に位置し、平家の落人が住み着いたとの伝説もあります。そのため、古くからにぎやかな祭りや、時を告げる鶏の飼育などは禁じられていました。
二岐温泉には、ホテルや旅館が7軒存在し、この温泉郷の中で最も古いとされる「大丸あすなろ荘」の開湯は平安中期の安和2(969)年で、現在の館主は50代目にあたります。大丸あすなろ荘の館主は一橋大学の元教員という異色の経歴を持ち、「日本秘湯を守る会」の会長を務めています。
享保13(1728)年には、天然の川床をそのまま生かした自噴泉岩風呂が造られました。川沿いの露天風呂とは別に、川岸から10メートルほど上った位置にあり、浴槽の底の岩の割れ目から小さな気泡が出て温泉が湧き出しています。でこぼこした浴槽の底には小石が水流で削られた丸い穴「ポットホール」があり、かつて川床だったことを物語っています。
二岐川のすぐ脇にある石造りの露天風呂は、まるで川の一部のように感じられます。明るい緑色のブナの葉を透かしてこぼれ落ちる陽光を浴びながら、身も心も湯につかると、川の流れが陽光を反射し、川自体が発光しているかのような光景が広がります。川沿いの露天風呂は自然と一体化しており、その美しさと静寂さが訪れる人々を魅了します。二岐川のせせらぎが心地よい露天風呂で、河原の岩を組んで造った湯船に身をゆだねることで、自然との一体感を味わうことができます。
つげ義春の漫画『二岐渓谷』の舞台としても知られる二岐温泉は、つげが1967年に滞在した「湯小屋温泉」が特に有名です。当時5軒あった宿の中で「もっとも貧しそうな」宿として描かれたこの温泉は、現在「新湯小屋温泉」として営業しており、つげファンの聖地巡礼の場となっています。旧湯小屋温泉主人はつげの別の作品『枯野の宿』のモデルでもあり、この作品に登場する絵は現在も湯小屋温泉に残されています。
老朽化が進んだ湯小屋温泉は建て直しが検討されていますが、つげ義春ファンからの「このままの姿で残してほしい」という強い要望に応じ、建物を修繕しつつ駐車場部分に新たに別館を建てる計画が進行中です。2014年には、つげ義春のデビュー60周年を記念して、天栄村で「つげ義春フォーラム」が開催され、つげ作品や二岐温泉の魅力について語り合う会などが行われました。