白河には、白河小峰城、南湖神社・南湖公園、福島県文化財センター白河館(まほろん)、白河フラワーワールド、白河集古苑、ブリティッシュヒルズ、翠楽苑、妙関寺、白河関の森公園、白河の関跡などの観光スポットがあります。
また、白河ラーメン、白河そば・うどん、阿武隈川メープルサーモンなどのご当地グルメもおすすめです。
東北の玄関口としても知られる白河は歴史的にも奥州へ向かうための重要地点として注目されており、関所や城が築かれました。多くの旅人や商人が行き交った白河関跡は現在もその様子を残しており、松尾芭蕉らが詠んだ句を思い起こさせる風情ある景色が広がります。
江戸時代に当時の藩主、松平定信が築いた南湖公園も外周およそ2KMに及ぶ大きな南湖を中心に、美しい景観が今も残されたスポットです。市の繁華街からも近くシンボル的存在として地元住民からも愛される白河小峰城もこのエリアには欠かせない観光スポットといえます。
四季の移ろいに合わせて美しい佇まいを見せる小峰城は何度訪れても期待を裏切らないでしょう。
南湖公園は、福島県白河市にある都市公園(風致公園)で、1801年に白河藩主・松平定信(楽翁公)が築造した、日本最古の公園とされています。松平定信は「士民共楽」の理念のもと、身分の差を超えて誰もが楽しめる場所とし南湖を造りました。 当時の庭園は城内や大名屋敷内などに造られ、庶民は立ち入ることができませんでしたが、垣根がなく、いつでも誰でも訪れることができる革新的なものでした。 四季折々の景観 湖畔には吉野桜、松、嵐山の楓などが移植され、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の美しい風景が楽しめます。那須連峰や関山を背景に、200年以上経った今でもその美しさを保ち続けています。 ...»
奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が14世紀中頃に小峰ケ岡に城を構えたのがはじまりとされ、江戸時代の初代藩主・丹羽長重公が4年の歳月をかけて完成(1632年)させた梯郭式の平山城です。 以後、松平定信公をはじめ7家21代の城主が居城しましたが、1868年に戊辰戦争で焼失した。 平成3年に三重櫓、平成6年に前御門が史実に基づき忠実に復元されました。復元に使用された杉材は戊辰の役の激戦地・稲荷山のもので、床板や柱には当時の弾痕がそのまま残っています。 江戸時代の寛永9年(1632)に丹羽長重が大改修した奥州関門の名城です。美しい石垣と端整な三重櫓の城は戊辰戦争の際に多くが焼失しました...»
コシのある手打ち縮れ麺とコクの深い醤油スープが相性抜群の白河ラーメンは、福島県白河市を中心に供されるご当地ラーメンです。白河ラーメンは心地よい歯ごたえの手打ち縮れ麺が、味わい深い醤油のスープに絡み合い、絶妙な風味を描くのが特徴です。市内には約100軒ものラーメン店があり、それぞれの店主がこだわりの味を追求し、白河のラーメン文化を築いています。 白河ラーメンの歴史 白河ラーメンの歴史は、大正時代にまでさかのぼります。白河で最初のラーメン店(当時は支那そばとワンタン)は、手打ち麺の醤油味が特徴で、その縮れ麺とスープの製法は現在の白河ラーメンと似ています。この店が白河ラーメンのルーツの一つとされ...»
“阿武隈川メープルサーモン”は、福島県西白河郡でサケやマスの養殖業を営む「株式会社林養魚場」が、カナダ原産のニジマスを日本へ空輸。10年の歳月をかけ品種および養殖方法を改良し、作り上げた大型のトラウトサーモンである。卵の孵化から出荷まで、すべて自社施設で一貫生産されており、管理の行き届いた清涼な河川水を用いて生産しているため、安全かつ安心だ。鮮度抜群のサーモンは臭みがなく、味も良い。適度に脂がのり、身のしまった純国産サーモンをぜひ食べてみて欲しい。...»
わざわざ遠方から足を運ぶ人もいるという「ハッピーベリー Happy Berry」の“Happy Roll”。しっとりふわふわのマダガスカルのバニラが香るスポンジ生地は、こだわりの蜂蜜と卵を使用し、ひとつひとつ手作りしている。スポンジ生地に包まれている純生クリームは、舌の上でとろけるようなやさしい味わい。シンプルでベーシックだからこそ、美味しさがダイレクトに伝わる逸品だ。他にも、季節のフルーツを使ったものや、ほろ苦キャラメル味などもあり、ぜひとも試してみたい。...»
母畑温泉は、福島県石川郡石川町母畑(旧国陸奥国・明治以降の旧国磐城国)に位置する温泉地です。ラジウム含有量は東北一を誇り、古くから湯治に利用され「打ち身なら母畑へ」と言われることもあります。 泉質 母畑温泉の泉質は、アルカリ性単純温泉とラジウム含有泉が主です。ラジウム含有量は東北地方随一とも言われ、古くから様々な症状に効果があるとされてきました。特に、神経痛、リウマチ、打ち身などに効果があるとされています。 温泉街 温泉街は母畑湖から流れ出る北須川流域に点在し、上の湯と下の湯に分かれています。旅館数は6軒です。 歴史 開湯伝説によれば、平安時代に奥州を訪れた八幡太郎義家(源義家)が...»